「愛している。おまえの心の届くまで何度でも言う。愛している。何度言えば信じられるようになるんだ?」
耳元に唇を押し当てながらドナルドがささやいた。
「永遠に言い続けて」
もうどこにもレイラの姿はなかった。彼女の中には、混乱し、見失い、想い違いをしているだけのアリスしか存在していなかった。
「永遠におれの傍にいてくれるのか? それとも永遠に納得しないつもりか?」
「永遠てどのくらい?」
「世界が終わるまでだ。まだおれが信じられないのか?」
「あなたの何を疑えばいいの?」
──疑うべきことなんて何もないでしょ、ラフ?
アリスは混乱した意識の中でラファエルに接吻ていた。
そうと意識して聞いていなければ気づかないような些細なことだった。しかしだからこそアリスは自分が現在いる場所を想い違いしていたのかもしれない──
抱き寄せられたドナルドの胸から響いてくるその声は──ラファエルと同じ音を発していた。愛をささやくその音が、いつも聞いているラファエルと同じ声だったのだから──アリスが混乱してしまうのも無理はなかった。
アリスの混乱と想い違いを正したのは──彼はラファエルではなく、ここがマンハッタンなどではなく、そして自分が今何をすべきなのかを思い出させたのは、突如始まった乱闘での出来事だった。
「伏せろ!」
その声に反射的に──いつものように身軽に、頭を抱えて身を低くした。倒れた男に飛びかかったドナルドは何度も何度もその男の顔面を殴りつけていた。
──…誰…?
腕の隙間からその様子を見ていたアリスは、彼がラファエルなどではないことを悟った。
──…ドニー?
それに気づいて、そして同時に、また自分が混乱していたことにも気づいた。
アリスの目の前で男を殴りつけるドナルドは恍惚とした表情を浮かべていた。まるで殴りつけることを楽しんでいるかのような表情だ。狂気に憑りつかれたようなゾッとするその顔は、ラファエルが決してしない表情だ。彼はラファエルなどではない。違う──ドナルドだ。ブロンクス・マフィアのボス、ドナルド・フランクリンだ──
彼に腕を取られたアリスは、呆然とした表情のまま立ち上がった。自分が今まで何をしていたのかを思い出そうとしていた。抱き寄せられた男に目をやると、彼のスーツは皺だらけで、あちこちに酒や血がシミを作っていた。アリスの着ている服の袖にも血がついていた。
「恐かったか?」
無邪気な笑顔で尋ねるドナルドから顔を逸らせて首を振ると、騒然とした店内を見渡した。切れた唇の端をシャツの袖で拭っていたジョーが、照れたような笑顔を見せた瞬間にアリスは猛烈な恐怖を感じた。
「悪かった」返す言葉が見つからず、首を振るのが精一杯だった。
「こんなことは滅多にない。ここは平和な街なんだ」
──平和と安全…
それはよくラファエルが口にする言葉だった。その言い回しが気に入っていたアリスは、彼の真似をしてその言葉を自身でも使っていた。しかしドナルドから発せられた言葉には異常なほどの違和感を感じた。
警官の言う平和とマフィアの言う平和とでは、その意味も内容もまったく違っているのだと気づいた。そして自分はここの人間ではないことを──マフィアの女などではないことに気づいた。彼女はニューヨーク市警の警官なのだ。法と秩序を守り、市民の安全と平和を守るのが仕事だ。暴力という名の、恐怖と不安が支配する平和などに賛同することなどできない──
そしてそれを言う男をラファエルだと想い込んで──想い込もうとしていた自分を激しく責めていた。ラファエルはゾッとするような狂気をはらんだ恍惚とした表情で誰かを殴ったりは──決してしない。
彼女自身は気づいてはいなかったが、ドナルドのその表情はラファエルというよりはアリスに似ていた。死の天使と呼ばれる所以となったアリスの表情に──